「俳句の周辺」と題し「俳句もの説 再確認」についてのご講演でした。その中で書きとめた興味深いお話(但し私にとっての)をいくつか。
・俳句は経験の文学であり、俳人はおそらく植物や鳥類の学者の次に植物や鳥の名前や生態を高いレベルで知っている。そしてそれを自慢したりしない(ホント、その通りですね)
・良い俳句を作ろうとしてもだめ。子規、虚子、碧梧桐が修練したように物を凝視する。
・「物」を「言葉」で置き換えるのは「自分」。
・俳句は理屈ではない。自分の五感を総動員して、詩と平凡の紙一重を突き破ること。
質疑応答の時間に次の句の解釈を何方かがお聞きしました。
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
(良い質問で嬉しいと上谷先生がおっしゃていました)
「沖」を創刊した 能村登四郎の代表作にして名句なのです。
以下は 清水哲男さんの「増殖する俳句歳時記」より引用させていただきました。
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
ひとり黙々と槍投げの練習に励む男。野球などとは違い、練習から試合まで、槍投げは徹底して孤独なスポーツだ。野球だと、ときに処世訓めいた言葉とともに語られることもあるけれど、そういうことも一切ない。ただひたすらに、遠くに投げるためだけの行為のくりかえし。すなわち人生的には無為に近いこの行為を、作者は無為にあらずと詠んでいるのだ。春愁を通り越した人間の根源的な愁いのありかを、読者に差し出してみせた名句である。『枯野の沖』所収。(清水哲男)
★.。.:*・°★.。.:*・°★
う~~ん 不勉強にしてこの名句を知らなかった私。
春ひとり で五音ですが ここでは 句の内容としては
春/ひとり/槍投げて槍に歩み寄る と切れを入れたいです。
それか
春/ひとり槍投げて/槍に歩み寄る かなぁ~?
お楽しみの句会の結果。
今年も伊吹嶺は大活躍で、大会賞3名の内2名は伊吹嶺のメンバーでした。他にも大勢が入賞し、副賞をいただかれました。大会賞の2名をご紹介します。
★.。.:*・°★ おめでとうございます ★.。.:*・°★
【大会賞】若布干す海女のほまちの一筵 都合ナルミ
【大会賞】野焼より戻りし法被垣に干す 牧野 一古
私は未だ副賞を頂くまでには成長していません(ー_ー)!!