伯母の家で残った玄米、
ボート部で買ってもらえないかと打診があり
とりあえず90キロ(3袋)を仕入れてきました。
運ぶのも精米するのももちろん男手。
伯母は3か月ほど見ない間にずいぶん弱ったように見えました。
痰が絡んで少し痩せてはいましたが、食事は自分で出来ると言っていました。
週何回か沐浴のサービスと 月2回の往診とを受けています。
「孝子(1年前に亡くなった妹)の家へ貸した掛け軸を
NORIKOちゃんへ渡すように言っておいたけど、貰ったかね」と。
形見のつもりなのかなと思いますが
別に私んちはボロ家なので頂かなくてもいいので
私は忘れていたのですが
伯母は、よく覚えています。
体は弱っても頭はしっかりしていました。
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「あさが来た」姉の義母や姉妹の母が亡くなりました。
今井家の葬儀では「あさ」も「はつ」も「千代」も白の着物でした。
昔の葬儀では直系は白装束。
伯母も養子の伯父も 母親の葬式の時白を着ていたことはよく覚えています。
伯父は白の裃だったような記憶です。
祖母は私が新婚旅行から帰った直後に亡くなりました。
実家から挙式場へタクシーで向かった時に、近所の親せきに支えられて
門で見送ってくれたのでしたが。。。
私も喪の着物の中に白の着物があり、これが何のための着物なのか
よくわからなかったのでしたが、昔ながらの支度をしてくれたということが分かりました。
でもこれ たぶん今は着ないでしょう・・・
白の着物どうしたらいいのかな。とテレビを見て思いました。