ニュース・ワイドショーで見たのですが作品賞の発表
プレゼンターは、ウォーレン・ベィティと フェイ・ダナウェイ
お二人とも素敵に歳をとっていました。
「俺たちに明日はない」
昔は ウォーレン・ビューティ って記憶していました。
間違った封筒を渡されて残念でした。
吉祥寺からバスで大泉学園南口徒歩数分の所に
牧野富太郎博士の旧宅の一部を記念庭園にしたところがあります。
練馬区が管理し入園無料。
オオカンザクラが見事に咲いていましたが春寒の日でした。
花は福寿草、水仙、クリスマスローズ、山茱萸、梅、緋寒桜、大寒桜
職員の方が朝からきれいに清掃をしていて休憩所もあります。
記念館で 氏の生涯を少し学んできました。
富太郎が画工の山田壽雄に指導して描かせた
桜花図譜が国立博物館で発見されたとのことで 展示されていました。
実物より実物らしい詳細な筆致。良いものが見学できました。
富太郎も若いころから非常に精密な図を描いていました。
高知に生まれ、頭脳明晰で学校制度が出来たとき12歳。
小学校は飛び級でもう学ぶものはないと退学。最終学歴は小学校中退。
西洋は植物を学問としていると知り、植物調査に没頭、
40万点の数の植物採取、標本づくりと研究に励み
新種発見し 命名した植物は1500種類以上。
50歳代で亡くなった妻 スエさんの名をつけた
スエコザサがたくさんありました。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
の句を刻んだ碑があります。
また旧宅を建物の中に一部復元した館の前には
花在ればこそ吾れも在り
館内には
學問は底の知れざる技藝なり
句や歌を詠むときは 結網の号を用いました
結網、結網子、結網学人
これは漢書の
「古人曰うあり、淵に臨んで魚を羨まんよりは、
退いて網を結ぶに如かず」に感銘しての事。
植物の写真とともに
「記憶にある祖父はいつも笑顔だったと」いうお孫さんの回顧録を寄せた
冊子を土産に買ってきました。
草を褥に木の根を枕、花を恋して五十年
文化勲章受章のことも それが博士の没後だったことも昨日知りました。