2016年1月5日火曜日

さだまさしコンサートおさらい

大晦日のさだまさしコンサートの中で
自身が 遠藤周作や山本健吉 赤塚不二夫と交流があったことを語り
山本健吉氏の初めの奥さんが俳人の石橋秀野ということも知っていました。
過去二回名古屋でのコンサートに行きましたが、俳句の話は初めて聞きました。

秀野さんは病気で39歳の若さで亡くなられたのですが、
救急搬送されたときの句と言い
さださんは、この句を想像を超える辞世の一句として紹介しました。それは

蟬時雨子は擔送車に追ひつけず 石橋秀野

(擔送車=担送車 ストレッチャーのこと)

<救急搬送をされる母親にお母さ~んと泣きながら担送車にすがり
離れまいとする子供。でも容赦なく親子は離されてしまう。
そんな状況下での壮絶な句>と語りました。

私が忘れないために記しておきます。

私の好きな「主人公」も歌いました。
詩をよく聴いていると
音楽家でもありますが、詩人でもあるんだなあと思います。

前に書いた、私が初めて聴いた曲は 新しいアルバムに入っているという
「梁山泊」と「問題作」という曲と判明。アップテンポでダンス(?)が入ります。
「問題作」には「意見には個人差があります」のフリップがビシバシUPされて。

「梁山泊」なんて言葉すら知らなかったのですが、中国の地名で

ネット調べ

「梁山泊」は中国山東省西部の梁山のふもとにあった沼の名前で、十二世紀はじめ、宋江らの盗賊が梁山泊に立てこもって起こした反乱を元にした小説が『水滸伝』である。
『水滸伝』は中国の長編物語で、百八人の豪傑たちが活躍する話の舞台が梁山泊であることから、豪傑や英雄、またそれら気取る者や野心家の集まりを梁山泊というようになった。
『水滸伝』が日本にも江戸時代に伝わって民衆に好まれ、梁山泊の名は非常によく知られるようになった。
このため、日本では「梁山泊」は有志の巣窟を意味する代名詞のように使われる。
たとえば明治初期、大隈重信東京の私邸には井上馨伊藤博文ら若手官僚が集まり政談にふけったため、
築地梁山泊」と呼ばれる。
その他、手塚治虫藤子不二雄藤子・F・不二雄藤子不二雄A)、赤塚不二夫石ノ森章太郎らが
住んでいたトキワ荘が「マンガ家の梁山泊」と呼ばれている。

最後に歌った曲は 映画の主題歌。
「風に立つライオン」はDVD借りて見ることにしましょう。

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それから、さだまさしは名古屋でのコンサートでは必ず
「グレープの時代に東海ラジオの蟹江篤子アナウンサーが 深夜番組で
『精霊流し』を毎週ラジオで流してくれて、ヒットし始めた」と 謝意を語ります。

昔、蟹江さんの実家は私の実家とお向かい同士でした。
妹のHちゃんと私は同級生だったのですが、ご両親の転勤でしばらく他県に。
で、篤子さんは名古屋の女子中・高に進学したのでお祖父様お祖母様と住んでいて
時々篤子さんへの呼び出し電話が私の実家へかかってきました。
母が言うには「若いのに挨拶もきちんとしていて、声も綺麗で電話の話し方も素晴らしい」
と感心していました。既にアナウンサーの素質を持っていたのでした。
(こういうことは個人情報なのかな?書いてもいいのかな?)

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今日の「あさが来た」
カフェで五代さんはビールを、あさは紅茶(コーヒー?)を飲んでいましたが
あさの持っていたカップは私んちの一番大事なカップと同じでした。
明日は福沢諭吉が大阪の取引所に登場するのかなと。