何か書くことはないしらかと
綾子俳句歳時記を開いてみたところに「足袋」の句が11句
昭和6年から昭和37年まででそれ以降はありませんでした。
今ぬぎし足袋ひやゝかに遠きもの 細見綾子 昭和21年 句集『冬薔薇』所収
足袋にも白足袋、色足袋、別珍の足袋などあって
多分これは白足袋??(私見です)
身につける身近なもの、足袋を遠い存在として見つめている
今日一日が終わった感慨でしょうか。
誰にも真似できない細見先生ならではの感覚が際立っています。
足袋といえば、愛知県西加茂郡の旧家に嫁いだ久女の
あまりにも有名な句が浮かびます。
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女 大正11年作。『杉田久女句集』所収
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夫の母の生家は呉服屋で 記憶にある義母は
真夏以外はほとんど着物を着ていました。
民謡、日本舞踊も習っていた・・・ということは
足袋を洗うのも日課だったかもしれません。
私の初産の お産見舞に来てくれた時「鮫小紋だった」と母がびっくりしていました。
気合いを入れて来てくれたのでしょう。
私は形見に色無地と江戸小紋の二枚をもらいました。
この齢になって着るには丁度良い地味な着物です。
ただやはり身丈と裄丈、身巾が足りず・・・
母方の祖母の縞の着物を一枚 伯母が私に何かに使う??
と言って見せてくれた時、欲しいといって 貰ってきました。
身幅と裄丈、着丈も伸ばすことができたので
呉服販売のあとを継いだ夫の従弟を通して 仕立て直ししてもらいました。
お金かけたんだから いつかは着ないとね。
歌人の辺見じゅんさんが NHKの短歌番組で
男性の着流し?のように ゆったりお召しになっていらしたことを思い出します。
俳人の黒田杏子さんは 作務衣のような着こなしで
びしっと決めて着付できたら それはそれで素敵ですが
もっともっと楽に着られる着物スタイルがあっても良いのかなと思うこの頃です。
若い人は既に前衛を取り入れて原宿辺りを歩いているかもしれませんが
私には まだ真似できません。