2024年1月24日水曜日

日本赤十字社

能登半島の被災地の皆さんが健康を維持して暖かい場所でゆっくりと休める生活を

取り戻されますように。

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ニュースで知った愛子さまの就職先。

日赤医療センターで二度も川崎病にて入院した子どものことをふっと思い出しました。

ここに掲載するのは良いのかなあと思いながら、当時も今も本当に感銘を受けた文章です。

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 私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。


 午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、 思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。


 診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか? いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。


 あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立っていったのであった。


 それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。


それから、小学生の頃に宮内庁の文化展だったと思いますが

当時書かれた「犬」という墨書にも、いたく感動しました。

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胃腸風邪もようやく治りましたが、次に血圧がピーンとはねあがり、

既に投薬を飲んでいますがそれでも高くなったら 

追加で飲んでと処方されました(>_<)



従妹の義理叔母さまの綴れ織



相国寺


盧山寺

多分京都で風邪を引いたのかと・・・