母の一句
滝落下自ら穿ちたる壺へ 百合子 平成5年
かな書も習っていたようですが これにはお手本は多分なくて
自分で書いたものと思われます。
お手本があれば残っているはず。
姉妹に配ったのかなと思いますが。
書き残すということは 好きな句だったと思われます。
私が小学生の時の校長先生が
退職後 今でいう文化講座の書道の先生もされて
細井平洲についても研究をしておられ 本を出されています。
たしか『平洲先生一日一話』
母ははじめは公民館で俳句をしていましたが
のちに「樅」(主宰は村上冬燕氏)に入りました。
毎日ビルで名古屋句会があったようですが
直接の指導を受けたことはなく
もっぱら地元の公民館と 支部の句会のみ。
村上冬燕氏遺句集『石徹白』(いとしろ)について
栗田先生が 月刊『俳句』に句集の評を書かれたことは、
後年 『紙風船』にて知ることとなりました。
村上氏は俳人協会愛知支部長をしておられました。
今朝の一句
朝風呂のあと一匹の蚊を打てり ✩NORIKO✩
母は朝風呂に入ったことなどはありません・・・
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