2015年3月25日水曜日

行ってきます!

なかなか肌寒い日もあるようで
ダウンコートかスプリングコートか迷ったあげく
中にたくさん着て 薄手のコートにしました♪

花冷やベランダに積む段ボール

2015年3月24日火曜日

春の日

卒園しましたが 親が働いている場合、週に何日かは預かってもらえるそうです。
なのでちびっこは登園。静かな春の日です。

今日は 先日の不整脈が気になり、日赤でカテーテル検査をしてくださった
N先生の下へ出かけました。
父上の跡を継いで4月から副院長となった先生です。
現在服用中の薬をはじめとして 全部お伝えして
明日から福岡へ手伝いに行くことも言いました。
心電図の結果は 悪い所はないということで、 福岡も安心して(?)行けることになりました。
「かかりつけ医のS先生も心臓の専門医ですからきちんとかかってください。」とのこと。
「いくら副作用とのかかわりのない薬でも、不安がプラスされてその時心臓のバランスが悪くなるということはあります。また何か気になることがあればいつでも来院してください」との見解をいただきホッとしました。 若いのに 堂々としてなかなか患者へ安心感を感じさせる診察で
しっかりしていると思いました。
「一つ病気がみつかったけれど 明るく前向きにね」と1年前に仰ってくださったこと
今も思い出します。

福岡は無理はすることなく手伝ってこようと思います。
しばらくこの日記も書けないかなと思いますが どうぞよろしく。


2015年3月23日月曜日

卒園

今日 唐津市文化事業団から
観光俳句の作品集
誤字の訂正を赤くした一覧と
正しい一覧の 二枚が送付されました。
やっぱり私は

松原の空を自在に秋あかね   でした。

私を含め4名4文字の間違いがあり
何方かが報告して気付いて全部見直したのでしょう。
公文書(?)に20句に4文字の間違いは多いですね。




入場は出来ませんでしたが 
自由撮影のときに撮らせてもらいました。
卒園おめでとう♪

2015年3月22日日曜日

形見分け

叔母の家の片づけを手伝いに行ったら
幾つかある中から従妹が「好きなのを選んでいいよ~」って言ってくれたので
アメジストの指輪をいただいて、棚からぼた餅♪
叔母様 THANKS!
遺された者の後片付けは気の遠くなるような仕事ですが
私にもいつか訪れるわけですから、心しないと・・・

卒園式前祝の夕食会(やんちゃなので自宅に限る!!)。
握り寿司を作ってみたのですがやや不評(お腹が空いていなかったとか)
その後の例によってケーキですが
いつもチョコの奪い合いになるので
「そつえんおめでとう」
「きりん組がんばったね」
の二枚のプレートを用意しました。

2015年3月21日土曜日

文化のみち

今日は叔母の忌明けでした。
 
 「くすむら」で食事後  二葉館へ行きました。
大島桜が美しい並木道で 撞木館でティータイム。
おさがりやお返しやプレゼント交換(?)の荷物が多かったので
私は もう一人の従妹とそのなかよしの叔父さん叔母さんに
自作の句をしたためた短冊を。

遠ざかる母との月日走馬燈   ☆NORIKO☆



これは 書の達人のみよ子叔母様にお手本を書いてもらったので
何と10枚くらい書いていました。
帰りはお下がりのお土産が多かったので従弟に送ってもらって帰宅しました

 
 
「醸し人九平次」(グラスで950円ぐらい)
があったのですが私は遠慮しました
でも ちょこっとだけ舐めさせてもらいました
 
 
 
 
 

2015年3月20日金曜日

地下鉄サリン事件の日

20年前の3月20日地下鉄サリン事件がありました。
単身赴任中だった夫は
普段は通勤に地下鉄日比谷線を使って霞が関駅まで通っていたので
ニュースを聞いてびっくりしました。
その頃は携帯電話も使っていなかったので
出張していたから大丈夫だったという声を聞いたときは嬉しかったです。
その日は30分くらい後にJR線に乗っていたんだそうです。
もしも被害者になっていたら・・・とゾッとします。

今日は私の通院日。
眠気が強いことを訴えたら薬が減りました。
家人と11時半に 某デパートの地下でヘルシーステーキ(但し牛脂注入品)
ハーフカレー付を食べてきました♪ ソフトドリンクも付きます。




2015年3月19日木曜日

お借りしたDVD

ご自身の俳句と写真をご学友からDVDに作っていただいたという方からお借りしました。
釜石市へ震災ボランティアへ行かれた折の写真や日常吟、
金婚旅行の旅吟も。おめでとうございます。

BGMも素敵でした
ヴァンゲリス「海辺の少女」
「花は咲く」 
宮西 希「月光」 
サラ・ブライトマンの ドヴォルザーク「ラ・ルーナ」

ご本人の許可を得たので 一部俳句と映像をご紹介します。

「遠眼差し」より

復興の祈り溢るる天の川

閉校の庭に向日葵原発禍

音信の途絶えし友や遠花火

動くもの失せて一村虫の夜

下萌や戻らぬ牛の牧地にも

春愁の海へ少女の遠眼差し

 
 
 
 
 
 

俳句で綴る素敵なアルバムでした★.。.:*・°★.。.:*・°★

梅に鶯

今日は雨で 鳥たちも雨上がりにチュンチュン鳴き始めました。
私が素晴らしいなあと思った 母の先生の色紙です。目白じゃないですよね?


2015年3月17日火曜日

My Favorite Thing

好きなものに囲まれていたいなあと思う。
ディズニーのあの歌も大好き。

好きなものは何だろう?
俳句も勿論好きだけど
お花は好きだけどお花作りは苦手。
きっと 何かを書いて 誰かにみてもらうのが好きなのかも。

先日 ある方が 会社のOB同士の仲間の特技 絵画や書道や篆刻や俳句を展示していたけれど
もう その会がお終いになり ご自身の沢山の短冊掛けや色紙掛けを 
誰かに貰ってほしいとのことで 私もいただいてきました。

そうだ、その掛け物や持っている掛け物に 母の形見の短冊や色紙
それに母の絵の先生の色紙を飾ってみようと思い立ちました。

床の間は 半分 物置場状態なので
すぐに見える場所 結局ピアノの上か 下駄箱の上となります。

素敵な掛け物をいただき 折にふれて ここに残したいと思いました。
あの世から 母が 「そんなこと止めて頂戴」 って言うかもしれませんが。







 

2015年3月16日月曜日

酒屋と造り酒屋



  今日は雑文を紹介します。
酒屋と造り酒屋
 私が転勤を重ねていた頃「ご実家は何をなさっているの」と、上司や同僚の奥様によく訊ねられた。
 「酒屋です」というと、大抵の人は「造り酒屋」と勘違いして、話の辻褄が合わなくなり、酒の小売業だと説明すると、「そうなの~」と思われたものだった。
 私が子どもの頃には、実家の商品棚には、灘の酒、知多の酒、沢山の銘柄の酒が等級別に整然と並んでいた。家業とはいえ、主に女手で続けていた副業のような小さな小売業だったが、ご近所ではパイオニア的な店だったので、それなりに多くのお得意さんがいた。
 祖父は上野町役場(村だったろうか?)で税務課に勤めていた。祖母は知多市佐布里の出身で、「都歌」という銘柄を多分造って販売もしていた「丸三本店」で働いていた。
 「酒税の関係で丸三本店へも出入りして祖母と知り合い結婚したのだろう」とは父が入院していたときに語った言葉である。
 祖母は結婚と同時に暖簾分けをしてもらい、「丸三支店」として酒屋を始めた。清酒というと一升瓶の瓶詰めで、今のように紙パックや小瓶などはなかったので、帆布の一升瓶が二本入る袋を、自転車の左右に振り分けて、注文があれば配達していた。
 その頃は醤油も酢も樽買いで、一升瓶にとくとくと漏斗を使って入れたりもしていた。
砂糖もケースにどっかと入っていて秤で量ってうっていたのだ。
 私の記憶にある祖母は、夏場だけはいわゆる「アッパッパ」のようなワンピース姿だったが、写真や記憶に残っている祖母は、当時みんながそうであったように、紬や絣の着物に割烹着姿であった。自転車で配達に行くときには、着物でモンペを上からはいて配達にいった(叔母の言葉)のだそうだ。
 肝っ玉母さんのような大きな祖母だった。女手で酒屋を始めるということは、今でいえば起業家だったのかしら。大八車で名古屋の熱田から商品を運んだことさえあるとも聞いた。
 祖母は自転車で配達していたが、母は嫁いでから自動車の免許を取り、ミゼットで配達をした。高度成長と共に、製鋼会社の社宅や寮へ、ビールの箱を5箱とか10箱とか、それは配達に明け暮れる毎日だった。お手伝いの人とパートの店員さんがいなければ、とてもやっていけなかった。伯母のご主人にも農作業が終わってから手伝いに来てもらっていた。
 仕入れも多いので、多くの卸業者が出入りしていた。問屋だけでなく「萬乗」「神の井」「玉の輿」などは当主でもある社長自らが販売促進に訪れていた。私の学校が休みのときは、出入りする外交員と宿題をしたり、祖母は外交員と私に抹茶を立ててくれたりもした。饅頭で好きだったのは何といっても納屋橋饅頭。
 酒造メーカーは「国盛」「白老」「ねのひ」「四君子」「鷹の夢」「都歌」「生道井」・・・他にもあっただろうが、いくつかは蔵を畳んでいると思う。小売店もまた同様である。スーパーでお酒を売っているから、世の流れには逆らえない。そんな中で弟のお嫁さんが現在は継いでいて、細々ではあるが頑張ってくれている。いずれ弟も役所を退職したら、父と同じように店に立つかもしれないし。
 日本酒業界も生き残るため、独自に頑張っているところが増えてきた。知多半島では半田のの「国盛」、その本家の「ミツカン酢」、常滑の「ねのひ」の盛田酒造も見学コースとレストランがある。しかしねのひのレストランのお勧めは伏見の「ねのひ」(ミッドランド店も美味しい)。
 常滑の「白老」の澤田酒造は杜氏手作りの酒で全国から蔵開きにファンが集まるそうである。
 何年か前に緑区大高町の「神の井」さんと「鷹の夢」さんの蔵開き試飲会に弟夫婦と出かけた。どちらも黒塀の美しい大きな蔵で、蹲踞もきれいな中庭を通り「麹室」を見学し「醸造タンク」も見学した。二階の麹室へ上る板の階段のすり減りようなどはとても歴史を感じさせる。天井に剥きだしになっている梁の太さ。代々守ってきたものの大きさと重さを感じた。機械化がなされている蔵でも、麹菌がそこらじゅうに漂っている、そんな気がして気分がよかった。
 大高ではたこ焼きをつまみに 試飲を重ねて、もう一軒、「萬乗」さんのお屋敷も外から見学しようということになった。先代の社長と弟さんともによく実家へ来て親しく声をかけてくださっていた。こんなに立派な15代続いている造り酒屋だったとは子どもの頃は知る由もなかった。
 「萬乗」さんは蔵開きの公開はないのだが、同じように黒塀で、近年お屋敷を改築したようだった。重厚な日本家屋の佇まいであるが、お屋敷の隅には大きな煉瓦煙突も残っていた。玄関の入口に茶色の地色の大きな暖簾に「○」に「九」が白で染めぬいてあり、ここは京都の祇園の一角だろうかという佇まいであった。代々の当主の名前に「九」がついているのだ。
 「萬乗」さんは日本酒が衰退した時期に、先代が病に倒れて蔵を閉じる瀬戸際だったようだが、今若いご当主が、フランスの三ツ星レストランでも置いてもらえるような「醸し人九平次」なる高級日本酒で盛り返している。ぜひ一度試飲んでみたいものである。
(2011.3.3に書いたものを編集しました)
..:*・°★..:*・°★
と2011年にこんな随想を書いていました。
まずは禁酒を医者から解除してもらわなくては (ー_ー)!!

カリンカ句会

昨日は晩御飯の支度をしなくても「可」でしたから
やりたいことを色々と・・・といっても家事じゃないですが。

カリンカの和やかな雰囲気は(学習ももちろんばっちりですよ)
とても楽しいものです。

山といふ山なき故郷青き踏む  ☆NORIKO☆

俎板に移る香りや独活刻む   ☆NORIKO☆

幼子が雛へ飾れりフリージア  ☆NORIKO☆
 




2015年3月15日日曜日

種袋

売り出しにしては小暗き種物屋   西澤吉昭 

NHK俳句の入選句ですが アナウンサーも「こぐらき」
と言ったのを櫂未知子さんが「おぐらき」と訂正されました。

ほ~ そう読むのですか。知りませんでした。

源氏物語の世からある言葉だそうです。

跡継ぎは役場に勤め種物屋  ☆NORIKO☆

同級生だったのですが 跡を継いでいるのでしょうか?
最近は半田街道を通らないので分かりません。

種袋子規庵保存会の名の   ☆NORIKO☆

2015年3月13日金曜日

5405歩

矢場町→松坂屋→大塚屋 と一日乗車券を使いながら移動して
わずかに5405歩です。松島まであと4066歩の地点です。

矢場町は診察待ちで座っていただけだし
松坂屋はついでに入ったのですが 衝動買いで帽子を買ってしまいました。

お似合ひと言はれて買へり春帽子   ☆NORIKO☆

ウィンドーショッピングは楽しいので時間を忘れ
お迎えの予定時間に遅刻しそうで、
家人に頼み込み 大塚屋まで足を伸ばしてやっぱり欲しかったものを買いました。

就寝前の薬は半量に減らしてもらいました。
この1週間脈が速いので心電図も撮ってもらいました。
また来週診察です。

 
ようやくの古希に辿りて梅に酔ふ 百合子
 
正しくは「やうやく」ですね
母が亡くなった時に夫の叔母(母と同い年でした)に 
叔母様しか書ける方はいないからと
未使用の色紙を差し上げたのですが
母の句を書いて返してくださいました。
52歳でがんを患い今日一日を生きていることへ感謝しつつ
(毎朝矢合観音の水を祈りながら飲んでいました)
古希を迎えられたことが嬉しかったのだと思いました。
昨日いただいた色紙掛けのうちの一つに飾ってみました。
このような緞子の三枚の他にも硝子の額縁のもいただきました。
うれしいのですが 小さな家には飾る良い場所がありません(*_*)
 
 
おやつもたくさん食べていますが
記録しないとだらけた食事になりますから・・・
 
 
サッカーの監督が来日。
アルジェリアをベスト16に導いた人となれば期待も大きいですね。
もう予選がはじまるのかな~ 早いなあ~
アジア最終予選ロスタイムでイラクから同点ゴールを決められて
ゴン中山がひっくり返って
家中で家族もひっくり返ったことを思い出しました。

 

2015年3月12日木曜日

昨夜のテレビで東海市の梅を写真に撮った方が投稿していたなあ。
今が見ごろかと。
今日 ついでがあるので見に行こうかしら。
ある方から短冊掛けを処分するので 貰ってくださいとのことで、
楽しみです。

今朝もやや眠く 明日は薬を減らしてもらおうっと。
運転にはガムをたくさん持っていきます!


色紙は母
人形は母の句友の紫苑さん作

2015年3月11日水曜日

季節外れの春の雪

昨夜から雪がちらついていましたが
今朝のフロントガラスには2センチほども積もっていたでしょうか。

もう4年 まだ4年 どちらかと思うにしても
その後の生き方がすっかり変わってしまった方々へ
政府は最後まで温かい支援をしてほしいものだと思います。



椿も



梅も

約2名の出勤はどうするつもりなのでしょう?
私は 公共交通機関だから大丈夫。
午後は秀句賞の選考会 頑張ってきます。

マッサンより
一日にして戦死広報が届く展開に早すぎると思いながら
熊虎さんが「一馬の分まで精一杯生きて笑って過ごそう」
って台詞には 今日が3月11日ということもあって うるうると・・・






2015年3月9日月曜日

春雨

午前中は眠気が催して 家人を送ってからうたた寝をしてしまいました。
なのにお昼ご飯はしっかり食べられるから不思議です。

下のちびっこの誕生日でTDLに行ってきたとのことで 
ランチョンマットのためのプリント生地を買って来たようです。

「簡単な仕立てでよかったら何でも作るよ~」と言っております。
布がちょっと足りないので
パッチワークにしてもよいと言う条件で作ることにしました。
近所のN伝説という店でも少し買いましたが
こちらで大体揃う感じなのですが とにかく地震があったら反物の下敷きに
なるかもしれないくらいの感じで ジャングル探検のように布を探しに行きます。
下の方に折り重なったものも近くに店員が居なければ
自分で上から順に取り外して取り出してまた適当に直しておくのです。

昔気に入った布を思い出して大塚屋にまだあるかどうか車で出かけたのですが
もうその布はありませんでした。

2015年3月8日日曜日

睡眠

クリニックで睡眠導入剤その他を処方され
10時就寝厳守を言い渡されました。
しっかり守って6時ごろ家人の呼び声にも起きられず
8時起床。
10時間も寝ていたんだ・・・・
早起きしなくてはいけない時大丈夫でしょうか?
血圧は良いのですが脈が速くてびっくり
午後なごや駅前で句会があるので
カレーを作りながら 三句の推敲、間に合うかしら。

三句のうち二句小さい声で名乗りましたが
自分でもいまいちの感ありです。でも載せておきます。

千年の飛梅の白空深し

転勤の荷造りに似て雛納

2015年3月7日土曜日

三尺

三尺の童」の読み方は「さんせき」だそうです。
「さんじゃく」とばかり思っていました。
主宰の山房雑記で知りました。
七、八歳の子どものこと。
「三尺」の「尺」は長さの単位で、「三尺」は身長が低いことのたとえ。
身長が低い子どもということ
または、「一尺」は二歳半として数え、「三尺」で七、八歳とするという説もある。(ネット調べ)

昨日は通院。
今日はこれから尾張旭の句会。
毎度泥縄です。
 
唐津城で投句箱に入れた句
作品集(A4一枚)20句の中に入りましたが
 
松原の空を自在に秋あかね  のつもりだったのですが
 
松原の空を自由に秋あかね  になっていました。
 
私の記憶も曖昧ゆえ・・・・
 
いすれにしても あまり写生がしっかりしているとは言えず(ー_ー)!!
 
特選句
 
石垣は城の語り部秋桜   
 
入選三句
 
引き潮の浜薄紅に冬夕焼   
 
天守閣満緑これにひれ伏しぬ  
 
青葉木莵鳴きつぎ夜を深めをり  
 
唐津城と曳山会館などの無料入館券をいただきましたが
娘も引っ越すため もう行く機会はありません。
九州の方へお送りしました。

 ★.。.:*・°★.。.:*・°★

食事写真を見ばえよくするためにバナナをつけましたが
食べきれませんでした(ー_ー)!!
おやつも食べたくなり 食欲は抑えるのが難しいくらい?
ですが結構不安を抱えている心配性(?)なので
食欲でストレスを解消している・・と自己分析しています。






2015年3月5日木曜日

遺伝子?

マッサンについてあまり書かなかったのですが
脇を固める俳優さんが上手ですし 上書き録画もしています。
今日の風間杜夫の演技も絶品で 思わず涙腺が・・・

関係ありませんが 私の弟が風間杜夫にちょっと似ています。
近視をはじめとして父に似たのは私で・・・

某家具店のお父さんと娘さんと顔がよく似ていてビックリしました。
対してご長男は似ていないのでお母様似なのでしょう。

娘のちびっこも どちらかと言えばお父さん似のような気がします。
転勤が決まり、月末は引越しの手伝いとなります。





2015年3月4日水曜日

帽子

昨日の朝 例によって毛糸の帽子を被って出かけました。
地下鉄名古屋駅から高島屋方面へ上る階段でのこと。
「すみません 帽子にカーラーが付いています」
と親切な女性に指摘してもらったのでした。

朝髪をふっくらさせようと一個巻いていたのを
そのまま帽子を被って時間の経過とともに落ちてきたのか、
外したのが毛糸の帽子にくっついていて
ず~っと付けたままでバスと地下鉄に乗っていたのか??
苦笑をマスクで隠して列車に乗ったのでした。

これまでパンストの中にスカートの裾を入れたこと数回。
長崎行の列車の中でトイレの鍵をしなかった失敗1回。

★.。.:*・°★.。.:*・°★

親戚筋の信心深い小母さまが
何処へ行っても参拝するときは
天下泰平身体健全家内安全交通安全
(但し順番は忘れました)
と唱えるって言っていたことを思い出して
最近心の中で唱えています。

昨日の成果

千体の仏へ献ず桃の花

首塚へ太閤の道草萌ゆる

雀の子博物館の塀越ゆる

2015年3月3日火曜日

春桃会

三十三間堂
本堂で雛が飾られ
池坊社中による桃の献花式がありました



太閤椿
 
 
 
豊国神社の絵馬

 
 
耳塚も行きましたが写真は無し

2015年3月2日月曜日

伊吹嶺三月号

午前中三月号が届きました。

遠峰集より

青き灯を連ねし街路師走来る

擂りおろす伊勢芋ましろ晦日蕎麦

御降の雪となりたる別れかな

児の賀状ところどころに鏡文字

侘助や吉良家の墓所へ女坂

以前日記にアップした句もあったかもしれませんが。

★.。.:*・°★.。.:*・°★

「始」と「初」 新年の季語に多く用いられます。
「夢始」の句を作って新年大会に出句しましたが
貴重な一点を入れていただき感謝。
実のところ「夢始」の句は自分としてはあまり見た記憶が無かったので
おずおずと出したのでした。
今日は 他にも調べたいこともあり
家にある俳句歳時記の「初夢」の傍題にあるかどうか??
とページを繰っていたら
角川、ホトトギスには「夢始」は無く、
辻桃子編「実用俳句歳時記」に「夢はじめ」載っていたのでホッとした次第です。
しかしながら例句は無し。
「初夢」を五音で座五に用いるなら「初寝覚」「貘枕」+「夢はじめ」
でも・・・使い方として微妙な違いがあるかもしれません。

部屋にまだ墨の香残り初寝覚    古賀まり子

耳許に猫の鈴鳴り初寝覚       木田千女

山始 という季語もありまして(傍題 樵初 斧始 初山 ・・・なども) 
とても私に詠める季語ではありませんが~

猪折を覗きもしたり山始   下里美恵子  3月号秀峰集より 

枝打ちし杉の匂ひや山始   中山ユキ  伊吹嶺季寄せより

枝打ちに一日籠れり山始   山田悦三  伊吹嶺季寄せより

2015年3月1日日曜日

もう一度

ジパング倶楽部の切符を買いにと思ったら
JR千種駅の店は17時までで昨日はアウト。
そこに日祝日は休みって書いてあったのに
確かめもせず今日出かけてまたアウト・・・
コインパーキング代まで払ったのに?
明日再出直しします。

雨も冷たいので 家でもう一度NHK全国俳句大会のVTRを見る。
詠めそうで詠めない印象深い句ばかりです。
披講のアナウンサーは前の女性のほうが好きだなあ。
男性も上手なのですが
女性のほうが響きもきれいではっきり聞こえます。

放映されない部分にも面白いやり取りがあるのでしょうが
金子さんと汀子さんの遣り合いは若い人に受け継がれて
坊城さんと夏井さん 火花が散っていたみたい。。

そこで題詠「和」

坊城俊樹特選

屋根に在る昭和の乳歯秋高し  田原より子

知らなかったな~
乳歯が抜けたら屋根に投げる!

坊城さんが「祖父(年尾)が投げろ投げろ」って言ったそうで
私には何の記憶も無いなあ・・・
歯が痛いことも親に隠してひどくなってから
歯医者へ連れて行ってもらったことはよく覚えています。

夏井いつき特選

左手は和音右手は揚羽蝶   藤本智恵子

右手は揚羽蝶を愛でるためにある と鑑賞しておられましたが
右手の指揮する動きが揚羽蝶のようだという鑑賞もあるかなあ。
夏井さん 民放のときのように御髪をもう少し気になさってくださいまし。