2015年3月16日月曜日

酒屋と造り酒屋



  今日は雑文を紹介します。
酒屋と造り酒屋
 私が転勤を重ねていた頃「ご実家は何をなさっているの」と、上司や同僚の奥様によく訊ねられた。
 「酒屋です」というと、大抵の人は「造り酒屋」と勘違いして、話の辻褄が合わなくなり、酒の小売業だと説明すると、「そうなの~」と思われたものだった。
 私が子どもの頃には、実家の商品棚には、灘の酒、知多の酒、沢山の銘柄の酒が等級別に整然と並んでいた。家業とはいえ、主に女手で続けていた副業のような小さな小売業だったが、ご近所ではパイオニア的な店だったので、それなりに多くのお得意さんがいた。
 祖父は上野町役場(村だったろうか?)で税務課に勤めていた。祖母は知多市佐布里の出身で、「都歌」という銘柄を多分造って販売もしていた「丸三本店」で働いていた。
 「酒税の関係で丸三本店へも出入りして祖母と知り合い結婚したのだろう」とは父が入院していたときに語った言葉である。
 祖母は結婚と同時に暖簾分けをしてもらい、「丸三支店」として酒屋を始めた。清酒というと一升瓶の瓶詰めで、今のように紙パックや小瓶などはなかったので、帆布の一升瓶が二本入る袋を、自転車の左右に振り分けて、注文があれば配達していた。
 その頃は醤油も酢も樽買いで、一升瓶にとくとくと漏斗を使って入れたりもしていた。
砂糖もケースにどっかと入っていて秤で量ってうっていたのだ。
 私の記憶にある祖母は、夏場だけはいわゆる「アッパッパ」のようなワンピース姿だったが、写真や記憶に残っている祖母は、当時みんながそうであったように、紬や絣の着物に割烹着姿であった。自転車で配達に行くときには、着物でモンペを上からはいて配達にいった(叔母の言葉)のだそうだ。
 肝っ玉母さんのような大きな祖母だった。女手で酒屋を始めるということは、今でいえば起業家だったのかしら。大八車で名古屋の熱田から商品を運んだことさえあるとも聞いた。
 祖母は自転車で配達していたが、母は嫁いでから自動車の免許を取り、ミゼットで配達をした。高度成長と共に、製鋼会社の社宅や寮へ、ビールの箱を5箱とか10箱とか、それは配達に明け暮れる毎日だった。お手伝いの人とパートの店員さんがいなければ、とてもやっていけなかった。伯母のご主人にも農作業が終わってから手伝いに来てもらっていた。
 仕入れも多いので、多くの卸業者が出入りしていた。問屋だけでなく「萬乗」「神の井」「玉の輿」などは当主でもある社長自らが販売促進に訪れていた。私の学校が休みのときは、出入りする外交員と宿題をしたり、祖母は外交員と私に抹茶を立ててくれたりもした。饅頭で好きだったのは何といっても納屋橋饅頭。
 酒造メーカーは「国盛」「白老」「ねのひ」「四君子」「鷹の夢」「都歌」「生道井」・・・他にもあっただろうが、いくつかは蔵を畳んでいると思う。小売店もまた同様である。スーパーでお酒を売っているから、世の流れには逆らえない。そんな中で弟のお嫁さんが現在は継いでいて、細々ではあるが頑張ってくれている。いずれ弟も役所を退職したら、父と同じように店に立つかもしれないし。
 日本酒業界も生き残るため、独自に頑張っているところが増えてきた。知多半島では半田のの「国盛」、その本家の「ミツカン酢」、常滑の「ねのひ」の盛田酒造も見学コースとレストランがある。しかしねのひのレストランのお勧めは伏見の「ねのひ」(ミッドランド店も美味しい)。
 常滑の「白老」の澤田酒造は杜氏手作りの酒で全国から蔵開きにファンが集まるそうである。
 何年か前に緑区大高町の「神の井」さんと「鷹の夢」さんの蔵開き試飲会に弟夫婦と出かけた。どちらも黒塀の美しい大きな蔵で、蹲踞もきれいな中庭を通り「麹室」を見学し「醸造タンク」も見学した。二階の麹室へ上る板の階段のすり減りようなどはとても歴史を感じさせる。天井に剥きだしになっている梁の太さ。代々守ってきたものの大きさと重さを感じた。機械化がなされている蔵でも、麹菌がそこらじゅうに漂っている、そんな気がして気分がよかった。
 大高ではたこ焼きをつまみに 試飲を重ねて、もう一軒、「萬乗」さんのお屋敷も外から見学しようということになった。先代の社長と弟さんともによく実家へ来て親しく声をかけてくださっていた。こんなに立派な15代続いている造り酒屋だったとは子どもの頃は知る由もなかった。
 「萬乗」さんは蔵開きの公開はないのだが、同じように黒塀で、近年お屋敷を改築したようだった。重厚な日本家屋の佇まいであるが、お屋敷の隅には大きな煉瓦煙突も残っていた。玄関の入口に茶色の地色の大きな暖簾に「○」に「九」が白で染めぬいてあり、ここは京都の祇園の一角だろうかという佇まいであった。代々の当主の名前に「九」がついているのだ。
 「萬乗」さんは日本酒が衰退した時期に、先代が病に倒れて蔵を閉じる瀬戸際だったようだが、今若いご当主が、フランスの三ツ星レストランでも置いてもらえるような「醸し人九平次」なる高級日本酒で盛り返している。ぜひ一度試飲んでみたいものである。
(2011.3.3に書いたものを編集しました)
..:*・°★..:*・°★
と2011年にこんな随想を書いていました。
まずは禁酒を医者から解除してもらわなくては (ー_ー)!!

カリンカ句会

昨日は晩御飯の支度をしなくても「可」でしたから
やりたいことを色々と・・・といっても家事じゃないですが。

カリンカの和やかな雰囲気は(学習ももちろんばっちりですよ)
とても楽しいものです。

山といふ山なき故郷青き踏む  ☆NORIKO☆

俎板に移る香りや独活刻む   ☆NORIKO☆

幼子が雛へ飾れりフリージア  ☆NORIKO☆