2016年11月3日木曜日

伊吹嶺11月号  そして伊吹嶺賞落選発表会

伊吹嶺11月号遠峰集より

ひとり訪ふ故里の墓あきつ群る

門火焚く身籠りし子と幼子と

露草の青きしづくの光り合ふ

灯火親し背表紙褪せし古語辞典

画仙紙に滲む青墨秋ともし


☆.。.:*・°☆


『母の部屋』

御朱印を母に託されバス遍路
食欲の戻りしと文梅は実に
帰郷子へ母念入りに鰻焼く
匂ひ立つ絵茣蓙にひらく児の晴着
起立して黙祷の父蟬しぐれ
喉狭き母へひと匙氷菓子
抱き上げし児が風鈴へ手を伸ばす
広縁の書棚に俳誌萩の風
山茶花や蹲踞見ゆる母の部屋
喉切ると決めたる母や虎落笛
予後の母背筋伸ばして吸入器
穴開きし首にスカーフ木の葉髪
喉に栓嵌めて柚子湯に浸かりをり
星空にねんねこの児の寝落ちたり
龍の玉母屋離れの通ひ径
巻き癖のしるき俳句の初暦
筆談に句を書きくれし御慶かな
輪飾や磨き込まれし瓦斯焜炉
臥す母へとろりと煮込む雑煮餅
水茎の賀状形見となりにけり

全て回想句。
当時女性には珍しい喉頭がん。
52歳の時に声帯を保存して手術を受けました。
コバルト照射もして コバルト照射の後遺症により
(これは被爆のケロイドと同じようなものではないかと本人が言っていましたが)
喉から食道へかけて狭窄がひどくなり
食道を広げる切開も何度も繰り返し
22年間で14回の入院をしました。
後遺症もいよいよひどくなり
嚥下困難で肺炎になり
主治医先生から 喉を切開し声帯を取り、命を取ることを説得されて
ひと晩病室でひとりで考えて 決断しました。
一日でも二日でも長く生きて、家族や子供の成長を見守りたかったのだと思います。
私がもっと気を付けていれば、もう少し長く生きていられたはずでした。
事柄俳句でも 私にとっては大切な20句として残しておきます。