2018年4月23日月曜日

思い出し笑い

高校の夏休みの宿題 家庭科
1年
 家で料理を作り、そのレシピを提出すること
私が作ったつもりなのは 「すし」
何寿司だったかは記憶なし。
酢の分量を「4人前1カップ」などと適当に書きました。
二学期 レポートに「その分量ですしが出来ますか」と赤ペンで書いてありました。

2年か3年
自由製作にお揃いの青いチェックでベストとスカートを作りました(ことにしました)
洋裁学校を出て、自分はもちろん 娘や姑 小姑の服もほとんど手作りしていたという
叔母に教えてもらって作ろうと、名古屋に住んでいた叔母宅で泊りがけで指南してもらいつつ
結局は全部仕立ててもらって その時の通知表は 
高校で唯一の「5」がもらえた家庭科でした。

「アダモ」が好きで一人で制服と長靴で
当時は愛知県立劇場だった栄へリサイタルを聞きに行きました。
夜の公演だったので 叔母宅で泊まるということで。
隣のおじさんに「一人で来たの?」「夜帰れるの?」と訝しがられました。
隣のおじさんも一人だったと思ったけど・・・
何せ制服と長靴の田舎っぺ娘だったので。
狼おじさんだったら エライことになっていたかもしれません。

「テンプターズ」が好きで 愛知県体育館へ行きました。
文化祭の日と重なってしまいました。
私が行きたいといったところ たぶん母は自分が行かないと
何かあったらいけないと思って一緒に来てくれたのかと。
文化祭に来てくれて 一緒に出掛けたお子ちゃまでした。
母は立ち見席か二階席だったと思います・・・

高2の1月7日(たぶん)・・・
大好きになってしまった
「ウォーカーブラザーズ」の名古屋公演に行ったのは。
三人で名古屋市公会堂へ行きました。
今になって思うと 最も似合わないような 
赤いチェックのワンピースに白いリボンで髪を結んでいきました。
ワンピースはたぶん親にねだって買ってもらったのだと思います。
そんなことを思い出すと笑いがこみ上げてきます。

学生運動が盛んだったころ、久屋大通へ同級生の女の子と見に行きました。
ずっとベンチで傍観していました。
すると知らない男子大学生にデモ行進に誘われました。
でも行きませんでした。
それで正解。これは笑えない話でした。
中には留置場に行ってしまった男子の同級生もいました。
でもその子は留年か浪人かしましたが東大へ行って、北大教授になりました。