2016年3月4日金曜日

腱鞘炎

一週間前から 右手の親指付け根が痛く
湿布などしていましたが、なかなか治らず整形外科へ。

エコーで筋を診てもらったところ
明らかな炎症があり、腱鞘炎の診断をもらいました。
何か特別使い過ぎた記憶はありませんが
強いて言えば 冬牡丹の句を 書き写したこと・・?
スマホ或いはPCの使い過ぎ??

注射を打ってもらい、一週間様子を見ます(指を安静に??)
ちなみに親指ではキーを打っていません。
あ~ で来週は 何かと入力作業があるので、日記も少し自粛します。

 
ご飯のスイッチ入れ忘れ・・・

2016年3月3日木曜日

お米

伯母の家で残った玄米、
ボート部で買ってもらえないかと打診があり
とりあえず90キロ(3袋)を仕入れてきました。
運ぶのも精米するのももちろん男手。

伯母は3か月ほど見ない間にずいぶん弱ったように見えました。
痰が絡んで少し痩せてはいましたが、食事は自分で出来ると言っていました。
週何回か沐浴のサービスと 月2回の往診とを受けています。
「孝子(1年前に亡くなった妹)の家へ貸した掛け軸を
NORIKOちゃんへ渡すように言っておいたけど、貰ったかね」と。

形見のつもりなのかなと思いますが
別に私んちはボロ家なので頂かなくてもいいので
私は忘れていたのですが
伯母は、よく覚えています。
体は弱っても頭はしっかりしていました。

★.。.:*・°★.。.:*・°★

「あさが来た」姉の義母や姉妹の母が亡くなりました。
今井家の葬儀では「あさ」も「はつ」も「千代」も白の着物でした。

昔の葬儀では直系は白装束。
伯母も養子の伯父も 母親の葬式の時白を着ていたことはよく覚えています。
伯父は白の裃だったような記憶です。
祖母は私が新婚旅行から帰った直後に亡くなりました。
実家から挙式場へタクシーで向かった時に、近所の親せきに支えられて
門で見送ってくれたのでしたが。。。

私も喪の着物の中に白の着物があり、これが何のための着物なのか
よくわからなかったのでしたが、昔ながらの支度をしてくれたということが分かりました。
でもこれ たぶん今は着ないでしょう・・・
白の着物どうしたらいいのかな。とテレビを見て思いました。

2016年3月2日水曜日

伊吹嶺3月号

遠峰集より

児の寝言壁隔て聞く霜の夜

蒼天へ千手めきたる冬木立

真青なる空を称へて御慶かな

重箱を拭き上げ夫と寝正月

夫が挽くコーヒー香る寒の朝

★.。.:*・°★.。.:*・°★

日曜の夜は「刑事フォイル」
やっと米軍が英国に援軍を送ってきました。

サム(サマンサ)がフォイルの息子アンドリューと付き合っていたはずなのに
遠距離恋愛になり、孤独のさびしさに耐えきれず
任地で好きな子が出来たと別れの手紙。。。
そのときのサムの顔。。。
いつも明るくかわいい雀斑サムが何とも暗い表情で。。。

上陸した米兵たちは、いたってオープン。
初対面でも映画に誘い、いったんサムは断るのですが
アンドリューの別れの手紙が来たので、米兵の中でも
まあまあ紳士的な青年と映画を見に行く約束をしました。
米軍のトップの大尉とフォイルの交流が良い感じに描かれています。

戦争の局面も次第に終盤 そしてドラマも終盤へ向かうようです。
それが何だかさみしい感じ。

2016年3月1日火曜日

漱石の院号

漱石は院号をもっていたのでした。。
現地では読めなくて、写真を見ても難解でした。旧い字体で。
IMEパッドで探して
ケン、コン、たてまつる、ささげる 
「文獻院」 
つまり 常用漢字の「文献院」なのね。なるほど。
「厭」の字にも似ていたので まさかねえ?と調べた次第です。

★.。.:*・°★.。.:*・°★

わが結社の荒川英之さんが俳人協会新鋭評論賞受賞で
俳句文学館の紙上に掲載されました。
あらためておめでとうございます。



 
 
レッスン後のおやつ(半分こ)

2016年2月29日月曜日

うるう年。

早いものです。今年は閏年。
東京から今日が誕生日の人へネクタイが届いていました。
上京中は張り切りすぎて?家に戻るとやっぱり疲れている感じです。
気持ちが緩むからでしょうか。
採り溜めておいた録画を観るのに半日。

東京で貼り付けなかった写真を。



百合の供花と比べてみると
本当に大きい!!

この写真を家人に見せたら
「奥さんの義弟が設計した肘掛椅子の形」なのだと言いました。
そういえば夫人の義弟鈴木禎次は建築家でした。
東京帝国大学卒→名古屋高等工業学校教授(現名古屋工業大学)
豊田喜一郎邸の設計 松坂屋の設計 旧中埜家(ミツカン酢)邸宅の設計など
愛知県の主な建築は鈴木氏が手がけたのです。
漱石は享年五十歳。
鏡子夫人は八十五歳。(ネット調べ)ご長寿だったんですね。

2016年2月28日日曜日

新宿御苑

昨日は一人で午前中は新宿御苑へ行ってきました。
御苑は梅がまだ盛りでした。


御苑の地図の看板を見たら 千駄ヶ谷口近くに国立競技場があるではありませんか。
原宿に行ったとき、代々木体育館の向こうに跡地があるのかな~と思って少し歩き
地図を再確認したら、国立は代々木とは離れていることを確認。
無駄足を踏まずに胸をなでおろしたので
今度は行ってみたいと思い、
御苑の千駄ヶ谷口で 受付の人に道も尋ねて見てきました。
近くに行ってもフェンスだけなので、となりにある東京体育館の階段の上から見ました。
テレビで見る通りでしたがどころどころ草が生えて水たまりがありました。
ここに新国立競技場が建つんだなあ。
元気だったら行きたい!と思います。


新宿への帰りに路線の行き先を間違え信濃町でUターン
神宮球場があるからでしょうか↓



お昼に娘夫婦知り合いの蕎麦屋さんで一緒に昼食。
娘たちは所用で戻り、私は伊勢丹を見物。
新宿のデパート4店行ってみましたが、
伊勢丹のディスプレイが一番デラックスでモダン。
う~んお金かけてあるわ~(-_-)
びっくりポンなのは、バーゲン品は一つも置いてありませんでした。
中野へ戻り、洋品店でもうすぐ誕生日の名古屋の男の子へ服を買って帰りました。
名古屋で一万円チャージした公共交通機関のICカードもとっくに無くなり再チャージして
今日で東京ライフは終わります。

2016年2月27日土曜日

吾輩は猫であるの碑・明治大学

関東在住の方に案内してもらい
昨日は神保町から御茶ノ水へ歩きました。
神保町駅を出ると行列の出来ているパン屋さんの壁に
虚子が住んでホトトギスを発行した場所としてレリーフがありました。
少し歩くと錦華小学校跡地近くに卒業生が建てた漱石の碑がありました。
漱石は一時期この小学校に通っていたのです。
跡地は現在はお茶の水幼稚園、その隣にお茶の水小学校(区立)があり
大通りに出ると明治大学です。
姪の母校なので興味も津々。立派な学舎が何棟もありました。
明治大学は初めは法律学校だったそうです。
10年ほど前に建設された高層のキャンパスの
地下階に立派な博物館があり刑事部門に関する展示、
作詞家の阿久悠に関する常設展示がありました。
御茶ノ水方面へ歩くとギターの楽器店が軒を連ねて並んでいました。
御茶ノ水は 医大や大学の附属病院もあります。
かつて眼科のT先生に一度東京の名医に診てもらいなさいと
日大駿河台病院へ行ったことがあります。
紹介状はいただいたものの予約なし扱いでとても長い時間待ちました。
進行の遅いタイプなので 名古屋の先生に診察してもらえばいい
と言われたことを思い出しました。

 

 

複製です 鉄の女性の中には太い針が数十本・・・
これを閉じると・・・
実際に使われたようではなく、
見せしめだそうな。。